授業計画
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オリエンテーリングです。「NHK特集・皇居」(1984)を見ながら、講師の自己紹介と「非日常性」の概念の意味を理解してもらいます。エッセー型にあたる紀行番組です。最初の回でこの講義のめざす全体が容易に理解できるように配慮します。
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「新日本紀行・幸福への旅ー帯広」(1973)、北海道の雪に埋もれた原野を走るSL。国鉄「幸福駅」の周辺で暮らす農民たちのささやかな日常に、都会人が夢を感じる旅番組こそ都会の視聴者にとっての非日常性なのです。皇居を中心だとすれば辺境の紀行にこそドキュメンタリーの真髄があります。
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「現代の映像・密売」(1964)、大阪の釜が崎のスラム街に潜入して、覚せい剤の密売グループを内偵する警察官に密着取材する記録です。ヤクザ組織を被写体にした今では実現不可能な強烈な作品です。イベント型にあたります。
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「ドキュメンタリー・いつもでない一日」(1970)、北見北斗高校の伝統的な年中行事「強行遠足」を10台を越えるカメラで同時進行的に取材した作品。「イベント型」の典型ですが、いつもでない時間を描くことは、最も原初的な非日常性の武器となるものです。
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「現代の映像・ベトナム帰休兵」(1966)、ベトナム戦争の最前線で戦う米兵がつかの間の休暇を日本で過ごす48時間の物語。戦争と云う非日常性に慣れた兵士と東京の日常性との葛藤が複雑な読後感をもたらします。
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「現代の映像・チッソ株主総会」(1970)、水俣病患者と支援者たちの一株運動によって、大阪で開催されたチッソ株主総会が大混乱する現場から、水俣病という非日常性の奥深い世界を一点凝視で見つめる秀作です。これも「イベント型」に分類できる番組です。
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「ドキュメンタリー特集・けやきの証言」(1971)、光化学スモッグによって武蔵野の面影を残すけやきの木々に異変が起きる。最新の科学的な成果を踏まえて、非日常的な怖い話を童話的なタッチで伝える秀作です。科学的な手法での「調査報道型」と云えるでしょう。
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「ドキュメンタリー・埋もれた報告」(1976)、熊本県に所蔵された公文書とその記録に携わった当事者たちへの取材から、水俣病がいかに放置されて来たかを告発する。今日では一般的な調査報道スタイルの先駆的番組。
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「にっぽん点描・最期のコンサート」(1996)、末期がんに侵された有名なチェリストが死の直前にホスピスで行なったミニコンサートを通じて、人間がだれもが隣り合わせにいる「死」という非日常性を考えます。これも「イベント型」に属するでしょう。
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「新シルクロード・楼蘭4000年の眠り」、太古のミイラを大量に発掘する「イベント型」番組。そこから科学的な推理で4000年前の生活が再現される。人間の営みの悠久さに心が洗われるスケール大きな番組。
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「明るい農村・睦合村出稼ぎ年表」(1974)、秋田県のある小さな村を舞台に、戦前から今日までいかに村人たちが経済的に自立して生活することが困難であったかを、ナレーションなしで詩的なスタイルで描く。ディレクターの個性が反映された「エッセー型」に属する番組です。
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「NHKスペシャル・闇の暴力 企業舎弟」、暴力団構成員が背広を着て別働隊として経済組織を動かす。表の顔しか見せない怖い世界を、役割分担をした複数のスタッフで解明する「調査報道型」ドキュメンタリーです。
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「NHK特集・ある総合商社の挫折」は不沈空母といわれた高度成長期末期に起きたある大企業の頓挫をとりあげた経済ドキュメンタリーです。内部取材が難しい領域で、事件化する対象を一歩一歩追い詰めて行く過程が描かれます。
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人間列島「18歳男子」は渋谷駅前にある小さなラーメン屋に住み込みで働く男の子が、やめるまでの数日の軌跡を心象的に描くエッセー型のドキュメンタリーです。ここには過剰なまでのディレクターの信念があり、今日のサラリーマン化したTV局組織への暗黙のアンチテーゼが見られます。
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エンディングです。いまのテレビジョンが非日常性(=未知なる世界)ではなく、日常性(=既知の世界)を描くことに堕落してしまってはいないか。それは視聴者が自分と同じ世界に安住して、他の価値観とTV番組を見ることで「ぶつかりあう」ことを避けようとする「TV免疫性の低下」と相互関係にあるのではないか。という私が日頃考えていることをお話します。
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